『自然保護教育論』(小川潔他著/筑波書房/2000円+税)
 学生時代からの友人である小川潔さんが、自然保護教育という切り口で、戦後のさまざまな実践を整理総括する本を伊東静一氏らとの共著で出しました。私にとって恩師である金田平、柴田敏隆両氏による三浦半島自然保護の会や、小川さんと初期の活動を一緒に担った自然観察会など、自分が当事者でもあった活動が取り上げられ、それに歴史的な位置づけが与えられているのを読むのは、何か面映ゆくもありましたし、理論的な整理ということに関心の薄かった自分にとっては考えさせられることも多くありました。この本では、自然保護教育の先駆者として、戦前に野鳥の会を創設した中西悟堂や、日本生物教育学会などで指導的な立場にあった東京教育大の下泉重吉などをあげています。そして1950年代に始まった三浦半島自然保護の会と東京教育大の野外研究同好会、その後継とも言える日本ナチュラリスト協会、さらには日本自然保護協会が設けた自然観察指導員などを、野外での観察や体験を重視した活動を進めた一つの流れとして位置づけています。その代表的な手法が自然観察会です。一方で、多摩川、川辺川、高尾山などで、開発や公共事業への反対運動の中で育まれた市民の自己学習の紹介にも重点が置かれ、そこに自然保護の実践と結びついた教育の流れを見いだしています。この二つの流れの相互関係については、十分に解明されてはいないようですが、小川さん自身による「しのばず自然観察会」の活動はそれらを結ぶ位置づけになるのかもしれないと感じました。後者について、私は自然保護における市民運動の役割の重要性を認識しているつもりですし、その運動に関わることが意識を変え、知識の習得を促す学習効果を持っていることも大いに評価するものですが、だからといって運動を通じてでなければ自然保護が学べないというのでは、いささか汎用性に乏しい議論になってしまうと思います。運動の中での学習という局面から、どんなプログラムやカリキュラムを、教育の場で共有できるものとして抽出することができるのかについての考察が欠けているのではないか、そういう不満を持ちました。私見では、前者は人材育成の面で大きな成果を生んできたと評価しますが、自然保護の現実的な課題の解決という意味では、行政と市民の合意形成の道筋を作った多摩川の運動など後者の貢献が大きかったと思います。であれば、なおのことその実践から、どんな学習手法が見えてくるのか、考えていく必要があるでしょう。また、自然保護教育という内容を、公教育の中に反映させていくべきだと考えるのか、それとも市民による自主的教育として育てていくべきかという点についての議論がないことにも不満が残りました。後者の立場に立てば、自然観察指導員の育成のような民間団体による努力は、より積極的な評価も可能だろうと思います。ところで、末尾の資料に、自然観察会の会報として収録されているページは私がガリ版を切って印刷したもので、思わぬところで自分の筆跡に出会って懐かしい思いをしました。(2008/11)