浜口さんの思い出

 私が浜口さんに初めてお会いしたのは1994年春で、地元の仲間とオオタカの繁殖調査をしていた時でした。現場で収得した猛禽類の肩羽を平塚市博物館に持参し、見て頂きました。浜口さんは羽根の特徴を見られて、長さ等を測られ、詳しい野鳥図鑑と照らしあわせながら、オオタカ♀成のようですと説明を頂きました。その年のオオタカの営巣は絶望的になりましたが、冷静に科学的に判断されるご様子が印象的でした。
 その後、地元のオオタカ保護活動で、行政との話合いに出て頂き、市の部長が「平塚の人間がここに来ているのは場違い」との今では考えられない発言に対しても、ご自身が持つ科学的に立脚した知見と沈着冷静な態度で、相手を説得されました。2000年、浜口さんが支部長の時、私に支部幹事になって、支部でオオタカの事を調べてみないかと薦められ、これは私への指南になり、それが(支部幹事は辞めましたが)継続できているのを誇りに思っています。今では優秀な調査員は支部会員を辞め、残念ながら私高齢化もあり2019年からは神奈川県のオオタカ調査を辞退しようと思っています(この分2018/9追記)

 一番楽しかった思い出は、サシバのPR映画を撮る準備のため、浜口さんと二人で平塚市の丘陵を歩き回った時です。いつもは師として仰いでいた浜口さんと互いに調査員として全く同じ立場で、自由に気さくに意見を交換しました。同地ではオオタカの調査もご一緒し、謎解きと行政への提言をした時があります。その折、「退職して時間が出たら、支部の猛禽類の調査にも支援ができるから」と言われ、愉しみにしていましたが、叶わくなりました.
 2010年4月、支部事務所で定線調査10年間のまとめの会合でお会いしたのが最後で、その時、今後のデータのまとめ等の指導を頂きました。浜口さんのご遺志をしっかり受け継いでいかねばならない気持ちです。  戻る 私の意見はこちら