『自然はそんなにヤワじゃない』(花里孝幸著/新潮選書/1000円+税)
 自然保護に関して、一般的によく言われていることについて、生態学者の立場から誤解や偏った見方をたしなめるという立場で書かれた本です。著者がまず指摘していることは、ホタルだとかクジラだとかあるいはトキだとかのように、注目される特定の種だけに目を向けた自然保護はバランスを欠くということです。それは確かにその通りなのですが、たとえばホタルを守ろうと具体的に活動している人の多くは、水辺の環境全体を守る一つの手だてとしてホタルに注目しているので、そうした現場への配慮のない論調が気になりました。もう一つの指摘は、生物多様性という言葉が一人歩きをして安易に使われていることへの警告です。湖のプランクトン群集を例にして、薬剤や汚染が多様性を高める結果をもたらすことがある例がくわしく紹介され、人間の活動がすべて生物多様性に悪影響を及ぼすという見方が否定されています。続く章では、人間の活動による生態系の攪乱は、生物多様性を損なうわけではなく、生態学的にみた時のK-戦略種(大型ほ乳類のように少産少死の種)が中心となった安定した系から、r-戦略種(多くの昆虫のように多産多死の種)が中心となった不安定な系に変化していくことに、真の問題があるのではないかという指摘がされています。こうした見方は勉強になりました。生物多様性に関しては、水田や里山の保全の根拠にそれを持ち出すことは不適切だと主張されていますが、このあたりは納得しにくい部分でした。自然保護の中では、後発の考え方として多様性が注目されるようになり、その目で見てみると原生自然だけでなく里山や水田も重要であり、そこでは人間による攪乱が多様性を増しているという評価がされるようになったのだろうと思います。ですから、里山や水田の保全と多様性の概念が結びつくのはむしろ当然だと思うのですが、どんなものでしょうか。さて、『自然はそんなにヤワじゃない』というタイトルについてですが、最後の方に出てくる「人類が生態系を攪乱しても、人類は滅びるかもしれないが、その変化を耐え抜いた生物によって新たな生態系が作られる」という予測を受けているように感じられます。この指摘は、おそらく客観的に見れば正しいのでしょうが、著者自身もその見方を環境を考える判断基準にしてよいと述べているわけではなく、地球のためではなく人類自身の生き残りのために生態系の保全を考えていかねばならないことを強調しています。とすれば、このタイトルは、著者の意向にそうものか疑問ですし、目を引くために選ばれた言葉だとすればあまりよい気持ちのよいものではありません。(2009/9)