『生物と無生物の間』(福岡伸一著/講談社現代新書/740円+税)

 養老先生を例外として、生物学者が書いたものがベストセラーになることは珍しいので、どんな本なのか気になって読んでみました。扱われているのは、一言で言えば生命体の特質とは何かという問いなのですが、研究史的な記述と、自身のアメリカでの研究生活の描写を織り交ぜながら読者の興味を引き込んでいく話術は実に巧みなもので、評判になることも納得できました。この本で、著者は生命体の特質として大きく3点をあげています。第一は、自己複製を行うシステムであるということで、このことについてはおもに研究史から説き明かされています。遺伝子の本体がDNAであることに気づいたエイブリー、二重螺旋構造を発見したワトソンとクリックなどの業績にふれながら、研究者間の確執も紹介することで、下世話な好奇心もくすぐるあたりが語り手として巧みなところでしょうか。次に著者が提示するのは、動的平衡という概念です。これは、たとえば我々の体が、長期的に同じ姿を保っているように見えながら、体を構成している個々のタンパク質は次々に入れ替えられ新陳代謝を繰り返しながら維持されているということです。我々が食事をとるのも、ただエネルギー源を得ているだけでなく、その更新の材料を得るためだというのです。第三の特質を紹介するのに、著者が話題に用いたのは、自身の一つの実験です。著者の研究チームは、膵臓で重要な役割を果たしているらしいあるタンパク質の機能を証明するために、遺伝子操作によってそのタンパク質を作れないマウスを作り出し、その個体に何らかの障害が起こることで、その機能を証明しようとしました。ところが、長い時間をかけ、様々な困難を乗り越えて進められたこの実験は、表面的には失敗し、そのタンパク質を作れないマウスも正常に生き続けたというのです。このことから、著者は生命体では受精卵から体を作り上げていく時間的なプロセスというものが重要で、その過程で何かの不都合があれば、異なる経路の代謝に切り替えるなどの柔軟な補償作用が起こって、生命が維持される可能性があることに気づかされたと述べています。すなわち、実験の失敗から学び取った「動的な平衡がもつやわらかな適応力となめらかな復元力」が第三の特質として提示されており、この点は機械的な見方を超える生命観として非常に重要だと思いました。ただ、この本の範囲では抽象的なイメージとして語られているだけなので、理解しやすい一方で、こういう生命観に基づいて行われる研究とはどういうものになっていくのか、次の機会には読んでみたいと思いました。(2007/10)