『シーボルトの眼 出島絵師川原慶賀』(ねじめ正一著/集英社文庫/571円+税)
 変わった題材を扱った評伝風の歴史小説で、主人公は江戸時代長崎の絵師で、シーボルトの専属として活躍する川原慶賀です。植物に関心のある人なら、シーボルトの『日本植物誌』の下絵の多くを描いた人物として慶賀の名が記憶にあることだと思いますが、そうした縁の下の人物に光があたるのは嬉しいことです。本作品では、画家としての腕を認められて出島に出入りする絵師となった慶賀が、たまたま医師として赴任したシーボルトに見込まれて専属の絵師を務めるようになり、江戸参府にまで同行したこと、さらに日本地図の写しを持ち出したいわゆるシーボルト事件の責任を問われて投獄されるなどのエピソードが描かれています。慶賀は、大家然とした画家としてではなく、腰の軽い職人気質の絵師として描かれていて、それが小説に軽快さを与えています。情景描写も丹念で、長崎の町のようす、出島でのオランダ人たちの暮らしぶり、さらには江戸の街のにぎわいなどが活写されています。植物に関する話がほとんど出てこないのは残念ですが、一つだけ重要なエピソードとしてシャクヤクの話が出てきます。慶賀が美人画に添えて描いた様式的なシャクヤクを見たシーボルトが、正確で忠実な写生をするようにたしなめ、慶賀もそれを理解して、シーボルトの眼になることを決意した話で、その決断が、慶賀の名を後生に伝えることになったというわけです。動物に関しては、ラッコが貝を割るところを描くように言われた慶賀が、葛飾北斎に教えを請うシーンがあります。北斎の娘と慶賀の交際など、史実か創作かよく分からない部分も多くありますが、全体に楽しく読むことができました。(2009/2)