『深海のイール』(フランク・シェッツィング著/ハヤカワ文庫/上中下各800円+税)

 文庫本で3冊、1600ページを越える小説で、よほど時間のある方にしか勧められないような大作です。エコ・サスペンスという聞き慣れないジャンルに属するのだそうですが、世界各地の海に起きる異変が物語の発端になっています。北海では、メタンハイドレードをかじる新種のゴカイが大量に出現し、カナダではクジラが船舶を襲う事故が多発します。さらには、深海性のカニが大量に上陸して毒素をまき散らすという事件が起き、それらに共通の原因が探られていきます。謎については、あまり紹介するわけにもいきませんが、題名にある深海のイールYrrがキーワードで、まったく奇想天外のことを考えつくものだと感心させられます。この小説の特徴の一つは、海洋生物、メタン層、海流特に深層流、あるいは海底資源などについての海洋科学の知識がふんだんに盛り込まれていることで、謎の解明をかってでた、科学者達の活動の姿にもリアリティーがあるります。ドイツ地球科学者協会賞を受賞したとのことで、そのあたりの科学者の役割についての描写が評価されたのだといいます。想定された原因へのある対策が考えられ、舞台はグリーンランド沖に配備される航空母艦に移るのですが、その作戦の指揮をとるのはアメリカ軍でした。ドイツ作家がなぜアメリカ人に実権を持たせるのかが疑問だったのですが、その好戦的な戦略は挫折し、アメリカ人としては先住民の血を引く科学者だけが生き残るという結末は、やはりアメリカ文明批判があったのだと安心しました。数多い登場人物のほとんどが死んでしまう、救いの少ない小説ですが、全体として人類の活動の影響が海洋のシステム自体を変えるところにまで及んでしまっているという強い危機感が背景にあることが強く感じられます。エコサスペンスと呼ばれる所以なのでしょう。(2008/8)