『植物1日1題』(牧野富太郎著/ちくま学芸文庫/1000円+税)
 私が生きもの好きになることについて、少なからぬ影響を受けたのが子供の頃に同居していた大叔母でした。彼女は高知県の出身で、同郷の植物学者牧野富太郎をいたく誇りにしており、小学生だった私によくその話を聞かせてくれたものです。そんなこともあって、牧野の著作は何冊か読んだことがあるのですが、最近、文庫本に入ったので久しぶりに目を通してみました。毎日1つの植物を題材に100日にわたって書き続けられたという随筆で、特に全体のテーマというものはなく、それぞれの植物について分類、語源、生活史、利用などについて筆の向くままに綴られているものです。もっとも多く取り上げられている話題が、中国での呼び名、つまり漢名との対比ということです。大場秀章氏の解説によればこうした考察は「名実考」と呼ばれる系譜のもので、日本の植物学がまず中国の書籍にある植物と日本の植物をつきあわせることから始まったために、多くの論考が重ねられてきたジャンルなのだと言います。牧野の主張は、中国にない日本独自の種の名前に漢字の名をあてるのは間違いだ、日本の植物はカナで書けばよいというきわめてシンプルなもので、その立場に立つと藤も百合も蓬もすべて間違いということになるのだそうです。蓬をよもぎと読んでいる限り、字を借りているだけの話で、そう目くじらを立てなくてもよいのではという気がしなくもありませんが、それは科学史を軽視した意見であるのでしょう。牧野の言う誤用に対する舌鋒は鋭く、時に高飛車で、初めて牧野の文章に接する人には嫌われるものかもしれません。同じような話の中に、現在一般に言われているインゲンは正しくはゴガツササゲもしくはトウササゲというべきで、真のインゲンは現在フジマメと呼ばれているものなのだと書かれています。また、現在はヨモギを使うのが普通な草餅ですが、もともとはハハコグサをつき込んだものだったそうです。和名についても、いろいろな議論がされていますが、ハナタデを現在の種にあてるよりはイヌタデにあてる方が適切である、アオツヅラフジという名は不適当でカミエビの方が適しているなどの意見が現在の図鑑類に必ずしもいかされていないのは、大牧野であっても絶対的な権威にはなり得なかったということでしょうか。(2008/6)