『絶滅した日本のオオカミ』(ブレット・ウォーカー著/浜健二訳/北海道大学出版会/5000円+税)
 アメリカ人が書いた日本のオオカミについての本ということに興味をそそられて、深い考えもなく購入した本でしたが、相当に難解で読み応えのある本でした。まず驚いたのは著者が生物学者ではなく、歴史学者で環境史という分野を専門としているということでした。ニホンオオカミの絶滅について、単に生物学的な見地で述べるということではなく、オオカミに対する見方の歴史的な推移や社会条件の変化の中でその要因を探っていくというのがその立場です。そのために、古い文書、民俗学的研究、生態学的な知見などが幅広く引用されながら、論が進められています。日本のオオカミについて、大和民族でもアイヌ民族でももともとは神として位置づけられていて、尊敬を集める存在だったと言います。大和民族では、農作物を荒らす草食獣を退治してくれる存在という意味が大きかったようです。それなのに、明治維新後の短い期間に絶滅に追い込んでしまった要因は何かという疑問が、著者をニホンオオカミの研究に向かわせたと言います。著者があげている要因の一つは、江戸時代にオオカミの間にも狂犬病が流行し、そのために人を襲うオオカミが現れて、オオカミに対する敵対的な見方が広まったことです。さらには、犬とオオカミの交雑によって生まれた雑種個体が人里近くにすみついて人の接触が増え、それも事故の原因になったといいます。こうした背景の中で、明治時代に入ると山野の開発が進んで、オオカミの生息圏と人間活動が重複するようになり、害獣としての面が強調されて、駆除が進んでいきました。特に、北海道では、エゾシカが食料として多く銃猟されてオオカミの餌が少なくなったところへ、明治政府が開墾とともに牧畜を主要農産業として位置づけたために、牧場をオオカミが襲うことが増え、人との軋轢が大きくなりました。そこで、ストリニーネを使った駆除が実施されたことが一気に絶滅を呼んでしまいました。著者は、オオカミを神と位置づけた日本人の自然観に共鳴しているようですが、明治維新後の西欧に追いつこうとする近代化の波の中で、その自然観は失われてしまい、そのことがオオカミの絶滅につながったととらえているようです。やや物足りなく思ったのは、オオカミの絶滅という事態が当時の日本人にどのように受け止められたのか、そもそもどのくらいの日本人がその事態を認識していたのかなどについての考察がほとんどない点でした。(2010/1)